野暮とはこれ如何に
獄寺の正面には黄金の地に花鳥風月をけばけばしく描いた屏風が立ててあり、その前にしなだれる人影は背後の屏風に負けないほどの豪華絢爛な打掛を羽織った男だった。黒々とした髪は短く、すっと伸びた柳眉とその下の切れ長の眸はこれまた黒で、紅をさしたような赤い唇は長い煙管を咥えていた。ひじをついていた男は無言で侵入した獄寺を攻めるように横目でちらりと見た。
「あ、間違いました」
やっぱりそういう店だったという残念さと目前の男はどうみても女には見えないから、さっきの女中が間違ったのだろうと獄寺は素直に謝って襖を閉じようとした。
「間違ってないよ、おいで」
男は煙を吐きながら獄寺を手招く。
「いや、オレ、やっぱ間違っていると思います」
落ち着いてくれば、蒼の打掛の陰の肌のなまめかしさやすっきりとした襟元の白さが生々しく見えてきた。女のおしろいの匂いとは違う見てはいけないもののような背徳さに体中が浸っていくようで逃げるように一歩、後ろ足を踏んだ。その躊躇いの間に男はゆらりと立ち、獄寺の腕をとった。何歩か必要なはずなのに歩いた素振りが見えない俊敏さで手をとられ、部屋に引き込まれる。指先で襖を閉じた男は、そのまま屏風の前にあぐらを組み抱き込んだ獄寺を吟味するように見下ろした。
「え、と」
「まだ何も知らねぇんだろ?」
「は?」
煙管の灰を落とすカンという高い音が響く。それに打たれたように獄寺は冷静を取り戻すが、どういう力でか抑えられた腕には抗えない。
「酒でも呑むか?」
少しは口にしたこともあったが、二日酔いや酔った上での醜態を晒したこともあり遠ざけていた。こんな場面で呑んだらどんなことになるか!獄寺は無言で首を振った。その緊張で強ばる頬を男は指の背でゆっくりと撫でた。
「とって食うわけじゃねぇよ。そんな恐がりなさんな」
「怖がってなんか、ねぇ」
揶揄られて、生来の気質が頭をもたげた。男の腕から逃れようと暴れるが、次の動作でピタと止まった。
前触れもなくくちづけをされた。
男どころか今まで女性と付き合ったコトのない獄寺にとって、それは初めてのくちづけだった。
だから、最初、何が起こったのかわからなかった。頬を触れあわせたことも遠い昔の頃だから、他人とのこんな近しい行為は充分に獄寺の感情を飽和させた。唇と唇が触れあう。少し離れて、また押しつけられる。三回目の触れ合いで開いた男の口から煙草の匂いがして、獄寺は反射的に顔を背けた。
「煙草、だめか?」
ダメも何も初めてのことでどうしていいのかわからないのだ。狼狽える獄寺のシャツのリボンをシュルと解き、スタンドカラーのボタンを外して露わになった首筋に唇をおしつけると、白い肌がビクンと震えた。
「や、やだ」
「じゃ、逃げるなよ?」
男は滴り落ちるような色気をのせた笑みを浮かべ、獄寺を解放すると廊下へと出ていった。今なら逃げられる、そう思ったときに消えた男が顔だけ覗かせた。
「俺とヤるまで靴返さねぇから諦めな」
カッと赤くなる獄寺に、快活な笑い声を男は返した。
残された獄寺は外されたボタンをはめ直し帰ろうと膝を立てたが、こんなときに限って思い出すのは旧友達の顔だった。店まで見送ったとて、自分の性格上すぐに出てくると踏んでいるはずだ。きっとそこまでが賭けの対象になっている筈だし、自分が向こう側だったら「まぁ待て。十分は様子を見ようぜ」と言い出すだろう。明晰すぎる頭脳が弾きだした答に獄寺は雁字搦めになってしまう。自分の思考に絡め取られているうちに男は戻ってきた。鴨居に片手をかけて獄寺を見下ろしている。
「帰ってもよかったのに。客が言えば靴ぐらいすぐ出すさ」
「見くびるな」
眉間に皺を寄せて男を睨むが、そんなものどこ吹く風で部屋に入ってきた。長身の彼が部屋に入るだけで強い圧迫感を受けて獄寺は自然気圧された。派手な打掛は腰で軽く止められているだけだから、帯をほどけばすぐに全裸だろう。なんで同じ性と同衾しなければならないんだ。獄寺は自分を見下ろす男を睨み上げて内心の戸惑いを隠した。どんな状況でも嘗められるのは甚だ気に入らない。
「そんなんじゃねぇけどよ、それで床入り、大丈夫かよ?」
不意打ちで腰を落として顔を近付けてくる男は、からかう笑みを浮かべた目をしていた。男らしい貌なのに、どこか色気を感じるのは着ているもののせいなのか、こういう場所だからか、獄寺はひく、と喉を鳴らした。
「まぁイチから教えてやるから安心しな」
ちっとも安心できない一言で腕をとられ、ついでに両腕に抱き上げられた。両足が浮き、女みたいに扱われても文句を言う暇も無い。男は無造作に足で隣の間へ続く襖を開けると、そこだけ闇が落ちたように暗く、仄かな赤灯が二人が入ってくる空気の流れに揺らめいた。