Un puro godiamento della vita -人生の純粋な快楽-
薄い闇だった。
最近、見かけない男が住み着いているという噂だった。
夜目が利く山本は月明かりもない新月の夜を狙ってその建物に忍び込んだ。アイパッチのような左片目用のゴーグルをかけている。現在の状況を赤外線で分析する画像が、昼間に収録された映像を基に刻々と分析されている。
――めんどくせぇ。
元来、身一つ得物一つで乗り込むのを得意としている山本にとって、この手の文明の利器は邪魔にこそなれ、得になることは一つしかなかった。しかし事後報告が面倒な山本にとって、リアルタイムにボンゴレ本部にデータとして残るこの方法は後処理を省く便利な道具なので外すわけにいかなかった。
映像は常にぴったりで瓦礫一つ動いていない。
――野犬とかそういうもんじゃねぇの?
しかし、足跡も餌になるようなものもない。
――古い建物一掃できたらいいけど、それもめんどくせーしなぁ。
しなやかな猫科の動物みたいな動きで次々と部屋を移動していく。古い煉瓦造りの建物の二階部分は崩壊しているが、かろうじて床は残っているので、一階部分は雨露をしのぐことができ、時々浮浪者が居着く場所でもあった。
『どうですか?』
『No』
ヘッドフォン越しに短く問われるが、返事のしようがないのは見ていればわかるだろう。
野良犬か浮浪者か、どちらにせよ山本の敵にはならない。そう思った矢先にくんと獣の匂いがした。
――野犬でビンゴ。
刀の柄を確認しながらをそのままのスピードで移動する。
「――誰だ?」
角部屋に当たる部分の隅から誰何された。ビロードのような、深みのある声に山本は足を止めた。
獣の唸り声、それを宥めて、窓からもれる淡い光の中に男の靴が入ってきた。
「この状況で怪しい者じゃないと言っても信じてもらえないが、ウチの犬がケガをしてね」
敵意がない印に両腕を広げて現れたのは生粋のイタリア人の男だった。日本人の平均身長を遙かに越えた山本より僅かに目線が上だから、大概立派な体格だ。山本はスコープを首に下げて男の背後を探る。ソファの影らしい場所に大型犬がうずくまっていた。
「病院に連れて行かないのか?」
「動かせないから、医者に来てもらって薬はもらってる。二、三日中に動けるようになるまで、見逃してくれねぇか?」
「あんた一人か?」
「あぁオレ一人だよ」
山本はどうしたものか、と思案する。
「とりあえず見せてもらっていいか?」
男は肉厚の唇をつり上げて、山本に道を譲るように横へワンステップ。山本は、生臭い血臭が漂う中、匂いの元へと膝を突いた。手は出さずにスコープをかけて赤外線越しに見る。緑の視界の中、はぁはぁと舌を出す大型犬がこちらを見上げてる。投げ出されたような右側の前肢と後ろ肢それぞれに裂傷があり、巻かれた包帯には痛々しく血が滲んでいた。
「確かに動かせねぇな」
「だろ。痛み止めが効いている間しか寝られねぇんだぜ」
体温を感じるぐらい近くに男もまた膝をついていた。スコープを取りながら、強く匂う香水に山本は顔をしかめる。
「あんたの香水も寝られねぇ原因じゃねぇの?」
「そんなに強いか?」
男は山本の側の肩をすくめて鼻を寄せて、笑う。
菫色の瞳が人なつっこくしなって、山本はつられて笑った。
「で、あんたはカラビニエリ(地方警察)か?」
「いや。近所に住んでて、隣のおばちゃんが怖がってたから見に来ただけ」
「その割にはたいした装備だな」
「夜目が利かないから無理って言い訳したら、釣り好きの旦那が貸してくれた。持ってんだったらてめーで来いってな」
山本は深入りしないうちに、と立ち上がった。男は自然見上げる形になる。
「なぁ。この後、用事が無いならちょっと付きあわねぇか?」
ありていに言えば呑もうと言っているのに気付く。元々、そのまま家に帰る予定だったし、人なつこい男と呑むのも悪くない、と思って了承する。
「でも、こいつは置いて行っていいのか?」
「あぁ睡眠薬がそろそろ効いてくる頃だし、相棒がいる」
会話が聞こえたように、倒れる犬の横に相似の犬が現れた。知性を湛えた目を山本に向けている。
「両方とも首輪をつけているし、滅多な事じゃ吠えねぇ」
自分を見上げてくる犬の頭に、男は後を頼むというようにキスをした。